今年はベートーベン生誕250周年!日本もクラシックファンの底上げを。

私、実はクラシック大好きで、年に2度ほどコンサートに行っています。

そして今年はベートーベン生誕250年の記念年。

なので思い切って初めて海外のコンサート、それも世界3大劇場の1つ、ミラノスカラ座で、リッカルド・シャイー指揮のベートーベン5番と8番を聴きに行きました。

そこで、まさに「カルチャーショック」を受けたんです。

エグモント、8番が終わり、トリの5番「運命」の第一楽章、59小節目で事件は起きました。

確かに、この日はホルンの調子が悪いらしく、ホルン奏者は楽章の途中でしばしば管の水抜きをしていたのですが、第一楽章で最も目立つ 59小節目のホルンの独奏、”ソソソド・レ・ソ”のフォルテシモの”ソ”の音が、見事に裏返ってしまったんです。

「運命」が始まってわずか1分、ホールに一瞬、緊張が走ったのを誰もが感じ取りました。

指揮者の指揮棒も、その時一瞬止まったのを覚えています。指揮者もショックだったのでしょう。

何とか第一楽章が終わり第2楽章が始まる直前、イタリア語で誰かが短いヤジを飛ばしました。

何を言ったのかは分かりませんでしたが、おそらくホルンの件だったんでしょう。会場に小さな笑いが起きました。

笑いが収まった後、指揮者は微動だにせず、5秒ほど集中力を高めた後、おもむろに第2楽章のタクトを振り下ろしました。

「運命」の第2楽章は、弦楽器のメロディーの美しさで有名ですが、この時の美しさは、筆舌に尽くしがたいものがありました。

指揮者もオーケストラのメンバーも、第一楽章のミスをリカバリーするには、圧倒的にすばらしい演奏をするしかない、との覚悟がビシビシ伝わるものでした。

そのまま、第3、第4楽章と続き、最後は会場が割れんばかりの拍手。いつまでも拍手が収まらないので、指揮者は5回も6回もステージに引っ張り出されました。

その時思ったんです。
第一楽章のヤジが無ければ、これほどすばらしい演奏になっただろうかと。

リッカルド・シャイーと言えば世界的なスター指揮者の1人。
来日すればすぐに売り切れ必至の指揮者です。

もし日本でこのコンサートが行われていたら、こんな失敗があってもヤジは絶対飛ばず、淡々と進行したでしょう。
聴客は席で微動だにせず聴いて、楽章の合間に一息つく、そんな聴き方になったと思います。

しかしスカラ座は違いました。

演奏中でも大きな咳払いはあるし、パルコ(サイドのボックス席:下写真)の人は、自由に立って、動き回りながら自由に聴いています。
私のいたパルコでは、老夫婦が演奏中、贅沢にも一流生演奏をBGMに、楽しそうに時々会話をしていました。
観客おのおのが、本当に自由に演奏を楽しんでいました。

ヨーロッパにおけるクラシック音楽は300年の伝統があり、すでに文化の一部です。これを日本に当てはめると、歌舞伎に相当します。

歌舞伎でもひいきの役者が出れば、”播磨屋!” とか、大向うから声が掛かります。

これは、舞台と観客とが一体化するための”間(ま)”と理解されていますが、 ヨーロッパにおけるクラシックが、日本でいう歌舞伎だとすると、

この掛け声に相当するものが、先のヤジ(しっかり見ているぞ)ではないでしょうか?

リッカルド・シャイーにとってスカラ座は、若いころアバドに師事した古巣であり、当時のシャイーを知る聴衆(ファン)も多かったのだと思います。
わたしにはこのヤジがファンの激励に聞こえました。そして演者はこれに応えた。

これは日本のクラシックファンには無い、大変うらやましい文化です。

クラシックの文化の歴史が違うから? そうではありません。

この違いは、スポーツと比較すれば、よく理解できます。

野球には大リーグ、サッカーにはヨーロッパのクラブチームと、日本のそれぞれのレベルを超える存在があるにもかかわらず、日本の野球チームもサッカーチームも、日本で確たるポジションを得ています。( ワールドカップの盛り上がりを見れば、サッカーが、Jリーグ発足わずか30年で日本に根付いたことは明らかです)

この点、日本のクラシック業界は、進むべき方向を完全に見誤りました。

日本にはプロのオーケストラが36団体もあるのに、東京を除く地方のオーケストラの年間収入が10億円を超えるところは2,3団体しかありません。(Wikipedia

かたやJリーグの営業収益は、J1の平均で48億円、J2の平均でも15億円です。(2018年度クラブ経営情報開示資料

岡山にもJ2のチーム、ファジアーノ岡山がありますが営業収益は15億円、試合のある日は、会場前の道路は大渋滞で動かなくなります。

多くの店舗にはファジアーノの応援募金箱があり、街の至るところにファジアーノをのぼりを見ることができますし、ファジアーノグッズも沢山見かけます。

そして観客はサッカーのルールをとても良く理解していますし、Jリーグの歴史(ドーハの悲劇とか)にも詳しい。

詳しいルールや歴史を知っていれば、試合を深く楽しむことができます。

これは、サッカーの業界団体であるJFAの努力の”たまもの”です。

一度、JFAのコンテンツ(事業一覧)を見てください。書かれている数ではなく内容を、です。
こんなにも現場や社会に関わっているのかと驚くはずです。

かたや岡山市には、日本に36あるプロのオーケストラの1つ「岡フィル」があり、年に1回は聴きにいっていますが、街中で岡フィルの宣伝を見ることはほとんどありませんし、岡フィルグッズを見たこともありません。

聴客も、例えばオーボエがどんな楽器でどんな音を出すのか、ビオラとバイオリンの違いや歴史を知っているか、自分の知識もあやしいものです。

つまりファン(サポータ)との積極的な関わりや情報共有を業界全体でやってきたかどうかの差が、客の理解の深さ、客層の厚さ、収益の差につながっているのではないでしょうか?

クラシックの業界団体は、N響と共演した世界屈指の指揮者に、地方のオーケストラに巡業して指揮してもらうようなイベントを企画したことがあるでしょうか?

楽団員も、地元の学校のクラブや大学のサークルに積極的に関わっているでしょうか?

その取り組みを見たり聴いたりしたジュニアや学生や社会人が、その地方の交響楽団に入ったり応援したくなる環境作りこそ、重要な気がします。

幸い、日本にはプロのオーケストラ団体が36もあって、そのトップであるN響は、世界的な評価も高いです。

日本の年末の第九ラッシュは世界的にも有名で、大編成ゆえに滅多に指揮できない第九を、日本ではかなりの指揮者が経験できるので、海外で日本人指揮者は、羨ましがられてもいます。

下地は充分に醸成されています。

まずは、海外の一流オーケストラを聴いた客が、”やっぱり日本のオーケストラとは一味も二味も違うな” と知ったかぶるのではなく、

”岡フィルだって、オーボエはベルリンフィルのそれに匹敵するよ”とか、
”N響=パーヴォ・ヤルヴィの組合せによるチャイコフスキー交響曲第2番だったらどこにも負けてないのに” 、みたいな負け惜しみが言えるファンづくりから始めて欲しいものです。

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