池袋事故の松永さんの会見で考えさせられた

4月19日の池袋事故から4か月余り経ちました。

再発防止のため加害者への厳罰を求める署名は、7月中旬から始めて1か月半で、約30万通も集まり、今も増え続けているそうです。

悲惨な交通事故が起こるたび、厳しい刑が執行され、たとえば2006年の福岡市職員の飲酒運転で3児が亡くなった事件では、

危険運転致死傷罪と道路交通法違反を併合した懲役20年の刑が 確定しました。

今回も、時速100㎞近い速度で、横断歩道上にいた母親と3歳の子供をノーブレーキではねて亡くしています。

加害者に同程度の厳罰を与えたい、というのは、心では本当によく理解できます。

しかし頭で冷静に考えてみると、厳罰は微妙だと思います。

というのも今回の場合、行為(事故)の意思形成が、非難可能であること(有責性と故意・過失)が示せるか微妙です。

そして何より、最も根底にある、「社会に与える影響」の判断が非常に難しい。

先の福岡市職員の例では、

飲酒運転で事故を起こし、現場からも逃走した 22歳の若者に、
①厳罰を与えることの社会的影響と、②厳罰を与えないことの社会的影響を比較した場合、どちらが社会的な影響が大きいかは明らかです。

飲酒をして車を運転する行為自体は、だれでも簡単にできてしまいます。

もしこれを軽い刑にしたら、同様の事故が多発して、社会に深刻な悪影響を与えます。

厳罰にした場合、飲酒運転は減り、事故も減るので、社会に良い影響を与えます。

今回の事例に当てはめると、

重大事故を引き起こした判断力の低下した高齢者に、①厳罰を与える場合、②厳罰を与えない場合、どちらが社会的影響が大きいか、になります。

厳罰を与える場合、500万人以上いる高齢ドライバーに、一定の無過失責任を科すことになります。
なぜなら、高齢による判断力の低下、それに気づかない事に過失はないのに、一定の責任が問われることになるから。

また地方の場合、高齢ドライバーから運転機会を奪うと買い物一つできず、死活問題になりかねません。つまり、社会に与える影響が甚大ということになります。

かといって何も対策しなければ、同様の事件はまた起こるでしょう。こちらも社会に与える影響は大きいです。

でも、もう少し深く考えると、答えが見えてきます。

これから高齢化がさらに進む事はわかっており、何の対策もしないことは、このような事故を増やすことにつながります。

また、厳罰を与えることは高齢者には一時的に不利に作用しますが、自動運転などのテクノロジーの進化を早め、さらに安全な社会を作ることに貢献します。

そして高齢者が、母親と乳幼児を車ではねた行為の再発防止をしないことは、国を挙げて取り組んでいる少子高齢化対策に逆行する事になり、社会の流れに反します。

高齢者の権利を守ることと、国民の安全を守ること、どちらが重要ですか?

つまり松永さんが会見で訴えていた、みんなが安心して外出できる社会にするためには、

厳罰が与えられる。が、社会的には正しい選択だと思います。

しかし、今回の事件には、いろいろな”忖度”が働きそうです。

・裁判所判事の年齢(自分にも不利にはたらく判決は出しにくいですよね)

・政治的な圧力(三権分立とはいえ、高齢者の大反発を買う判決は、政治的にも経済的にも打撃)

・人脈の濫用(こういう場合こそ、”上級国民”としての範を垂れてほしいけれど)

また刑法は、強制力が強大なため、拡大解釈や”疑わしきは黒”、が許されず、厳密な適用が要求されます。

これらを含めて総合的に判断すると、起訴された場合、

執行猶予付きの判決、になるのではないでしょうか?

そして、一定年齢以上の運転に対しては、何らかの安全装置の設置義務化、 運転能力基準の明確化が求められるでしょう。

何ともやり切れませんが、高齢者の運転は悪なのか? と問われると、そうだとは言いきれません。

しかし、事故を起こした直後、加害者は被害者の救護より先に、自身のアカウント類の削除を親族に指示した、とのネット書き込みもあります。

もしこれが事実なら、冷静な判断能力下で行われた重大な救護措置義務違反です。

ここに関しては加害者に弁解の余地はなく、社会的地位者としての行動を考慮して、実刑判決にすべきです。

いずれにしても今後、高齢者の運転のあり方を決める、重要な裁判になることは間違いありません。(起訴されなくても、民事裁判にはなるはずです)

亡くなった方のご冥福を祈りつつ、厳しくとも正しい判断ができる社会であってほしい、と心から願います。

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