これからの社会(100記事目)

この記事は記念すべき100記事目。ブログを始めて、約1年かかって100記事達成です。

せっかくの記念記事なので、ずっと温めていた内容を書きます。

それは、このブログのテーマでもある、

誰もがテクノロジーの恩恵を享受する、これからの社会の在り方について です。

日本の高度成長を支えたのは、高い品質のモノを、均質かつ大量に生産可能な仕組みだったと考えられますが、その市場は20年前にアジアに移ってしまいました。

また、一定の品質さえ確保できれば、価格が安い方が売れるということを、液晶テレビの画質競争での敗北が証明してしまい、日本が誇る高品質追及体質が、裏目に出てしまいました。

時を同じく、技術的な新規性が無くても、コンテンツが良ければ爆発的に売れることを、iPhoneが証明したことで、モノからコンテンツへの流れが一気に加速しました。

そして気が付けば、プラットフォームはアメリカ企業が独占して、我々はその上でしか動けなくなってしまいました。

具体的に言うと、今では国や役所が使う資料は、Word,Excel,PDFといったアメリカ製で作成し、サーバーはAWS、買い物はAmazon、スマホに至っては、AppleかGoogle(Alphabet)のサービスを利用せずに使うことは不可能な状態です。

SNSもいつのまにか、LINE以外はアメリカ製(mixiはどこ行った?)。まさに便利さの基盤を握られている状態になってしまいました。

そして、そのアメリカでも自動車産業は、2019年にはメーカですらないUberが、GMやFordを抜いて、時価総額で全米トップとなりました。Uberは創業わずか10年の企業です。

これは人々の求める価値が、
モノを作ることから、モノを上手に利用することにシフトした。
ともとれる現象です。

確かに、GAFAやUberはモノづくりの企業ではありません。Appleはモノを作ってはいますが、iPhoneに代表されるように、他社製の部品の組み合わせの上で動くコンテンツやデザインで儲けています。

それでは、モノづくり大国である日本にはもう、巻き返しのチャンスはないのでしょうか?

日本の特徴は、その愚直なまでのモノづくりへのこだわりに加え、独創性の高い基礎研究も強いことです。そしてガラパゴスと揶揄される独自の技術もたくさん持っていることです。

たとえば、日本のセンシング素子の技術力は世界一。東洋経済の記事によると、日本のセンサーメーカの世界シェアは50%以上で、日本に無いセンサーは世界にも無いと言って良いでしょう。

これから本格的に普及するであろう自動運転には、多くのセンシング技術が欠かせません。

また、モノを動かすための動力としてはモータがあります。

このモータ技術も日本がトップシェアで、モータの動力を生み出す磁石は、研究も技術も日本が世界をリードしています(1台の自動車には100個以上のモータが使用されており、日本国内の電力消費の50%はモータによる消費です)。

例えば今後、巨大市場となる自動運転の分野では、センサーからの正しいインプットに基づき、正確にアウトプット動作できることがとても大切になります。

また、どんなに世の中が便利になっても、世の中からモノが無くなることはありません。逆に便利さを追求すると、自動運転やスマホ/スマートウォッチのように、優れた駆動源やセンサー類が必要になります。

ここに日本が巻き返すチャンスがあります。

GAFAやUberがやっていることは、実はとてもシンプルで、文字や数値化されたデータとしてのインプットを加工して、同じくデータとしてアウトプットしているだけです。

そのインプットやアウトプットが大量にあるというだけです。

例えば、Amazonは入力された商品を登録済の顧客に届ける、Uberは入力された場所に登録された車を配車する、iPhoneはスマホに入力された命令を実行する、Googleも乱暴に言えば、入力されたキーワードに最も相応しいと思われる答えをデータベースから探してきて表示する、です。

極論すれば、0と1の信号で出来ることしかやっていません。

しかし今後に必要とされる技術は、自動運転でいうと、周囲の未知の情報を正しく取り込む技術と、目的の動作を正確に行う技術で、0と1の信号になる前と、出力された0と1の信号どおりの動きを実現する技術です(入力情報から適切な判断を下す技術がAI技術ですね)。

具体的に例えると、1m先で予測不能な急な飛び出しがあっても、それを瞬時に検知して、99㎝以内に車を安全に止めるモノとしての技術が必要とされるのです。

どんなにすぐれたAIが適切な判断を下しても、そのとおりに動けなければ、判断の意味がありません。

そのためには、正確なインプットと正確な動作としてのアウトプットが必要で、

周囲がよく見える”目や耳”と、優れた”手足”、正確に手足が動いているかを確認して動きをフィードバックする”目や耳”が必要となります。

今後、高性能な車とは、エンジンパワーや燃費ではなく、周囲の状況を的確に判断し、正しく危険を避ける動作ができる車、になります。

AIは、機械学習で飛躍的な学習時間短縮が可能ですが、モノづくりは、このようなショートカットは困難です。つまり、他国が日本の技術力に追いつくには相当の時間が必要です。

もう一度言うと、ここに日本が巻き返すチャンスがあります。

自動運転で培われたセンサーやモーターの技術は、すぐに家電や暮らしの快適化に応用されるでしょう。

モノがすぐにコモディティー化する現代、便利なモノは、他国が真似をして自分たちのモノにするよりも前に、コンビニやネットを通じてすぐに広まるでしょう。(前の記事のとおり、私はこれからの時代、コンビニはテレワークの拠点になるべきだと本気で思っています)。

自分でもまだ形は見えていませんが、基礎技術力→モノづくり力→販売展開力→市場のフィードバック、これらが組み合わさった新しい社会の形が、コロナ後の世界で花開く気がしてなりません。

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